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神戸地方裁判所姫路支部 昭和55年(ヨ)65号 判決 1982年2月15日

債権者

名村萬次

右訴訟代理人

分銅一臣

丹治初彦

麻田光広

横井貞夫

債務者

日本赤十字社

右代表者社長

林敬三

右訴訟代理人

石田好孝

妙立馮

主文

本件申請をいずれも却下する。

申請費用は債権者の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

1  債権者が債務者に対し労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

2  債務者は、債権者に対し、昭和五五年三月一日から毎月一六日限り月額一七万五、八二七円の割合による金員を仮に支払え。

3  申請費用は債務者の負担とする。

二  申請の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  申請の理由

1  当事者

債権者は、昭和四八年八月一日、債務者の経営する医療施設の一つである姫路赤十字病院(以下「本件病院」という。)に、ボイラー技師として雇傭され、以来稼働してきたものである。

2  自然退職に至る経過

(一) 債権者は、昭和五三年六月ころ、左足首が疾病にかかつた為、本件病院及び岡山大学医学部付属病院にて治療を受け、昭和五四年一月五日には本件病院において、大腿部切断の手術を受けた。

(二) 債務者は、債権者の右疾病による欠勤に対し、昭和五四年三月一日付をもつて、本件病院の就業規則に基づき、一年間の休職の辞令を発した。

(三) 債権者は、昭和五四年二月一〇日、前記手術による創面が治癒したので、本件病院を退院し、その後、義足を装着して歩行訓練を重ねた結果、同年一一月八日には、兵庫県リハビリテーションセンター付属中央病院より、就労可能である旨の診断書を受け、更に兵庫県勤労者医療者生活協同組合東灘診療所からも右同様の診断書を受けたので、同年一一月一五日以来、数回にわたり債務者に対して復職の申し入れをなしたところ、債務者はこれを拒否し、昭和五五年二月末日の経過をもつて、前記就業規則五七条二項に基づき、自然退職扱いをしている。

3  本件解雇処分の違法性

債権者に対する前記休職処分は、勤務に耐えうる健康状態が回復した場合には、当然復職を認めるべき趣旨のものであるところ、前記のとおり、債権者は復職可能な状態に体調が回復したにもかかわらず、債務者はこれらの事情を十分に検討することなく復職を拒んで事実上の解雇処分を行なつたもので、その違法性は明らかであり、本件解雇処分は無効というべきである。

4  保全の必要性<省略>

5  結論

よつて、債権者は、申請の趣旨記載の裁判を求めて、本件申請に及んだ次第である。

二  申請の理由に対する認否<省略>

三  抗弁

債権者には、以下に述べるように、勤務に堪え得ない事情があり、それらを総合すると、原職復帰は不適当である。即ち、

1  左下肢機能全廃

ボイラー技師たるものは、単に一箇所に座つて計器を監視すれば足るというものではなく、計器だけでも数箇所に設置されており、この他、地下から六階の各階まで各所に多数の点検箇所があり、また、梯子による昇降動作を必要とする日常業務もある。しかも、ボイラー技師の勤務時間午前七時三〇分から午後一〇時までの内、午前七時三〇分から同八時三〇分まで及び午後四時三〇分から同一〇時までの間は一人勤務とされ、一人で院内の隙々まで配管された送気弁、送気管の補修、点検に従事しなければならない。債権者の現状では、これらの作業が困難であり、転落の危険があるばかりか、事故発生等の非常事態において要求される迅速性を欠くことになり、病院全体の安全管理にも支障をもたらしかねない。

2  肝硬変症

債権者の現状は、単なる肝炎ではなく、その症状が進行した帰結としての肝硬変症、それも黄だん等の出現による非代償期の状態に推移している。そして、この疾病の最も基本的かつ重要な治療方法は安静(入院)である。仮に債権者が就労を希望しても、疲労感、倦怠感から十分に職務を進行しえず、症状の悪化が当然に予想されるところなので、健康の維持に最も注意を払うべき病院において、かかる者を就労させることは、他の一般患者に対し、健康に対する病院の見識に不安を抱かせ、不信感を醸成させることになり、ひいては治療体制に支障をもたらす結果となるのは明らかである。

3  六三才の高齢

債権者の肉体的労働能力は、六三才の高齢であるという事情に照すと、著しく柔軟性、融通性を欠くといわざるをえず、二〇、三〇才台の若い人のように、前記1、2のハンディを克服することは極めて困難である。

労働安全衛生法一三条により、本件病院に設置された産業医である訴外松永、水野両医師は、右の各事情に基づいて、債権者の原職復帰を不適当と判断したのであり、債権者は、右専門的判断を尊重して、復職を認めなかつたものにすぎず、そこには何らの違法もありえない。

四  抗弁に対する認否<以下、事実省略>

理由

一申請の理由1項及び同2項(一)、(二)の各事実及び債権者が、昭和五四年一一月一五日以来、債務者に対し、数回にわたり、復職の申し入れをなしたが、これを拒否され、昭和五五年二月末日の経過をもって本件病院就業規則に基づき、自然退職扱とされていることは、いずれも、当事者間に争いがない。

そして、<疎明>によれば本件病院の職員就業規則において、公症を除く病気欠勤が六ケ月以上に及び、尚勤務に堪えないときには休職とされること(第五六条一号)、右休職期間は、満一年とし、休職期間が満了したときは、自然退職とする(第五七条二号)旨、それぞれ、定められていることが認められる。右規定を合理的に解釈すれば、勤務に堪えない状態で病気欠勤が六ケ月以上に及んで休職の取扱となり、右状態が満一年継続したとき自然退職となるものと解すべきであるから、債務者が債権者に対して自然退職を理由として債権者の労働契約上の権利(被保全権利)の消滅を主張するためには債権者が休職期間中、本件病院におけるボイラー技師としての勤務に堪え得ない状態が継続したことを主張、立証すべきである。

二そこで抗弁について判断するに、債権者の左足が大腿部中央付近より切断されていること、債権者が肝硬変を煩つていること、債権者が六三才であること、以上の各事実は当事者間に争いがなく、これに<疎明>を総合すると、一応以下の事実が認められ、これを覆するに足りる証拠はない。

1  左下肢機能全廃について

(一)  債権者は、昭和五三年六月中旬ころから、嫌気性菌による左下腿蜂窩織炎に罹患し、同年七月二九日から九月八日まで本件病院の外科にて、ついで、九月九日から昭和五四年一月四日まで岡山大学医学部付属病院皮膚科にて、各々入院加療につとめたが、後記2の肝硬変症及び免疫不全状態のため、薬物療法の効果がなく、再び本件病院に入院の上、同年一月五日には敗血症の危険を除去するため、左下肢大腿部切断の手術を受けた。その結果、債権者は、身体障害者福祉法施行規則別表第五号(第三級)に該当する障害を有する身体障害者となつた。

(二)  その後、債権者は、昭和五四年四月上旬ころから約四か月、龍野市所在の信原病院にて、右下肢の強化を中心とするリハビリを受け、相当な成果を挙げた後、更に、同年八月中旬ころから一一月ころまで、本件病院の整形外科にてリハビリを重ね、片足とびや膝の屈伸による身体の持ち上げ等については、通常期待される以上の成果を挙げた。

(三)  現在、債権者は、自ら考案した転倒防止用の曲折調整器のついた吸着式大腿義足を装着し、やや緩慢ではあるものの、通常の日常生活において必要な歩行や階段の昇降だけではなく、ある程度の重量物の運搬や梯子の利用をなすことができ、これらの過程で、特に不便や苦痛を感ずることはない。また、普通自動車、小型特殊、自動二輪等の運転免許を取得し、生活範囲も拡大している。

しかしながら、債権者には疾走する能力はなく、右のような日常生活における運動機能についても、長時間にわたる場合又は敏捷さが要求される場合に、健常者と同程度の能力を発揮しうるか、又は正確に作業を遂行しうるかは、疑問なしとはしない。

2  肝臓疾患について

(一)  債権者は、債務者に雇傭された昭和四八年当時、既にアルコール性慢性肝炎に罹患していたが、昭和五三年ころには、肝機能の劣化と外観所見からみて、肝硬変に移行したものと推測される。

(二)  一般に、肝硬変を臨床的に分類すると、代償期にあるものと非代償期にあるものに区分しうるが、前者は、肝臓組織の一部に非可遡的病変を生じていても、全般的にみるとその機能が比較的良好に保たれた状態を指し、その治療は慢性肝炎に準じて、飲酒、過労、不節制等は禁止されるものの、右の程度に至らなければ、通常人と同様の社会生活を送ることは、一般的には否定されない。但し、この場合も、できる限り体に負担をかけないようにする必要があり、定期的に諸検査を受けて自己の症状を把握する等、体調を管理することが必要である。右のことは、肝臓病一般についていえることであるが、体を安静に保ち(この観点からは横臥が望ましい。)、多量の血液を肝臓へ送り込むことが、病気の進行を食いとめる最良の方法であり、とりわけ、食後の数時間においてその重要性が指摘される。

これに対し、後者は、肝機能の退化が更に進行し、現象的には腹水貯留、黄疽や発熱の継続、食道静脈瘤や痔核の出現、消化器管からの出血傾向、意識障害等の重大な諸症状が発現し、場合によつては生命に対しても危険の及ぶことがあるので、一般的には、入院の上、安静加療をする必要がある。

(三)  尚、右代償期、非代償期の分類は、必ずしも判然と区別しうるものではなく、時期的にみても、過渡期を含むものが通常であるから、移行した時点を厳密に特定しうるものではない。ただ、非代償期のの肝硬変が、右にみたように、重篤な症状を伴うことから、患者の治療方針としては、少くとも代償期の段階に病気の進行をとどめておくことが最優先されることになる。

(四)  債権者は、現在では、過疲労性、全身倦怠感、皮膚疼痒感等の自覚症状があり、他覚的には、全身動脈硬化症、亜黄疽(一時期には黄疽指数2.4)、皮膚汚穢、手掌紅斑、陽性の出血傾向、両耳下腺開口部腫張、肝臓の腫張及び硬化、脾臓の腫大及び機能亢進症、軽度の食道静脈瘤及び痔核の発現などの症状が存する。また、各種の検査の結果(その詳細は、別紙諸検査結果表記載のとおり。)によれば、肝循環の遅延(ICG値の上昇)、高ビリルビン血症、高ガンマグロブリン血症、低アルブミン血症、膠質反応(クンケル、チモール等)の上昇、血清補体の減少、免疫グロブリンの増大等の異常が発見されている。

(五)  他方、別紙諸検査結果表により判明するように、昭和五三年二月ころから昭和五五年二月ころまでの期間中において、各項目の数字が著しく悪化したことはなく、一部には数値的に向上したものすらある。また、債権者は、前記1(二)のとおり、左足切断後、約八カ月近くもかなり厳しいリハビリに耐えてきたうえ、現在に至るまで、腹水貯留、意識障害等、前記2(二)で述べたような重大な機能障害が発生したことはなく、農地の耕作や自宅の修繕を含めた日常生活を支障なく送つている。

3  年齢について

(一)  債権者は、昭和四八年三月末ころ、国鉄を定年退職して本件病院に勤務することになつたものであり、復職申し入れ時には六二才の年齢に達していた。

(二)  債務者においては停年制を設けておらず、現実に、本件病院におけるボイラー技師の退職時の年齢は、七五才六か月、七一才三か月、七〇才三か月、六九才九か月等の実例がある。

(三)  しかし、六三才の年齢ともなれば、一般に、肉体の柔軟性を欠くものであるから、運動能力の向上を期待することはできず、実際に二〇才台、三〇才台の若年者のように、一側下肢大腿切断者が原職に復帰する例は殆んどなく、仮に、復帰したとしても、軽作業職や事務職に配置転換しているのが実状である。

また、肝臓疾患についても、その回復力は望みえないから、今後の改善の見込みは薄い。

4  債権者の業務内容

(一)  本件病院におけるボイラー技師の業務内容は、大別すると、(1)ボイラー日常作業、(2)スチーム送気弁開閉作業、(3)滅菌消毒作業、(4)冷暖房用機器の保守管理、(5)上水道の管理、(6)スチーム管及び上下水道管関係機器の保守管理、(7)その他、に分類できる。

そして、右のうち、中心的な業務はいうまでもなく(1)の作業であり、新館地階に設置されたボイラー室にて行なわれるのであるが、同室は配管や機器が複雑に取り付けられており、狭い場所もあつて安全確保のためには相当な注意が要求される上に、ドラム水面計のブロー、低水位スイッチの作動確認、排煙濃度計のガラス掃除、ホットウェルタンクへの清缶剤注入、ボイラー主蒸気弁の開閉などのように、脚立や梯子を使用する作業が含まれている。

また、(2)の作業は、ボイラーの配管が本件病院の全館に及んでいるために、作業範囲としては、本館地下一階地上四階、新館地下一階地上六階の全てにわたつているが、その総階段数は、本館で八八段、新館では一一四段に達する。

その他、重油タンク指示計の確認や旧第一病棟北地下タンク水量の確認の際には、マンホールの鉄蓋の開閉が要求され、新館屋上の飲料水タンクの点検(月一回程度)には、高さ約五メートルの鉄梯子の昇降が心要であり、また、(3)の作業には、狭くて足場の悪い消毒器の裏側に入つて、スチームトラップ弁等を操作することも含まれる。

(二)  右に見た日常業務の他に、各機器からの蒸気の漏出(甚だしい場合には破裂)、水漏れ、排水のつまり等の異常事態に対処する必要があり、殊に右破裂の場合には、ボイラー技師自身、素早く危険から避難することと共に、ボイラーの運転そのものを停止して、災害の増大を防ぐ任務を課せられる。

現実に、昭和五五年三月一日に発生したボイラー室の火事においては、ボイラー技師がボイラーの運転を緊急停止した後、消火作業に従事し、大事に至らずにすんだ。

(三)  昭和五二年一〇月二八日に改正された本件病院における現在の勤務体制は、定員四名のところ、一名の欠員をかかえている。そして、勤務時間は、午前七時三〇分から同一一時三〇分まで、午前七時三〇分から午後三時三〇分まで、午前八時三〇分から午後一二時三〇分まで、午前八時三〇分から午後四時三〇分まで、午後二時から同一〇時までの組合せによつており、昼休みを含めた勤務時間は、一人あたり週四四時間である。そして、平日においては年前七時三〇分から同八時三〇分までと、午後四時三〇分から同一〇時まで、休日は午後の短い時間を除き、殆んどの勤務時間が一人勤務となる。

三ところで、病院におけるボイラー技師は、その性質上、高度な安全確保の能力を要求されるというべきであり、単に日常業務を遂行しうるだけではなく、緊急時においても、できる限り危険の増大を防ぎ、災害を他に及ぼさないように対処することのできる能力が備わつている必要があると考えられる。この観点から本件について考察するに、債権者は、前記二1項の(二)(三)の前段で認定したように、左下肢大腿部を切断しながらもリハビリによつて運動能力の面で相当な成果を挙げ、日常生活においては殆んど不便、苦痛を感ずることはないものと考えられるが、前記二4項の(一)で認定したとおり、ボイラー技師としての職場は、かなり複雑な動きを要求されるところであつて、一部には身体障害者にとつてはかなり危険とも思える作業内容を含むものであり、長期間勤務する間には、危険の発生を招来する虞れなしとはせず、更に同(二)で認定した緊急事態に対処する能力は、前記二1項の(三)の後段で見た債権者の現状及び二4項(三)で認定した勤務体制に照すと、不安を感じることを禁じえないというべきである。

また、債権者の肝臓疾患についてみるに、前記二2項(四)、(五)で認定したように、非代償期への移行を窺わせる事実も存するが、必ずしも、非代償期にあるものと断定することはできず、仮に、非代償期の肝硬変であつたとしても、比較的病状が安定していると推認される。しかしながら、同(二)、(三)で認定したとおり、肝硬変の治療指針としては、何よりも、重篤な症状を伴なう非代償期への移行を阻止することが最優先されるべきであり、そのためには、できる限り体を安静にして負担をかけないようにすることが望ましいというべきところ、前記二4(一)及び(三)でみたとおり、ボイラー技師の業務内容は、かなり肉体に負担をかけるものと推測することができ、債権者の健康維持という観点からみても、原職復帰は不適当というべきである。

また、六三才という年齢自体は、前記二3項(二)で認定したとおり、必ずしも、ボイラー技師としての稼働を妨げるものではないが、叙上の諸点を加味すれば、運動能力の退化、疾患の悪化の方向に加担するものであることは明らかである。

尚、以上の判断は、現状におけるボイラー技師の業務を前提としたものであり、仮に、債務者において多大な費用を投じて設備を改善したり、債権者のみを特別な勤務体制に組み込んで、同人の肉体的負担を減少させた場合には別異の結論に達することもあり得ると考えられるが、右のような措置を、法律上、債務者に強制しうるものではない以上、前記判断を覆することはないというべきである。

従つて、以上を総合すれば、債権者には未だ「勤務に堪えない」状態が存すると解するのが相当である。

四最後に再抗弁について判断するに、債権者本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、債務者と、本件病院に勤務する職員で組織された申請外日本赤十字労働組合姫路支部又は同組合員との間に、現在、各種の労働紛争が発生しており、その結果、兵庫県地労委、中労委、神戸地裁姫路支部、大阪高裁等に多数の訴訟等が係属していること、姫路簡裁には、債権者が原告の一人となつて未払賃金請求事件が提起されていること、以上の事実を、一応、認めることができ、また債権者本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる疎甲第一八号証によれば、債権者は職場の同僚に信頼され、復職を強く望まれていることが一応認められる(これに反する証人岸本隆雄の証言は採用できない。)が、これらの事実のみでは、債権者からの復職申し入れを拒否した行為が、前記組合を弱体化させる意図のもとになされた不当労働行為であつて、右事実上の解雇は権利の濫用として効力を否定されるべきであるとは、到底、いえない。そして、他に権利濫用の主張を基礎づけるに足りる証拠はない。

五以上の次第で、本件申請は、いずれもその被保全権利の疎明を欠くものというべきであり、保証金をもつて疎明に代えることも妥当でないから、これらを却下することとし、申請費用につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(中村捷三 河村吉晃 加藤幸雄)

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